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@_yokohina




 走って走って、普段意識もしないような部分が痛くなって、感覚が鋭敏になって、髪が顔に張り付いて、またほどけて、爪の先まで、髪の先まで、私は私なんだと思い出される瞬間は、何度味わっても慣れない。非日常の極みだと思う。



 ぼと、という音を立てて、シャーペンが手からノートに落ちた。午後の授業はどうしたって眠い。ぼと、という鈍い音は教室になんの変化も起こさずに、すぐに消えてしまう。低い先生の声。チョークと黒板の接する音。生徒のかすかなざわめき。咳払いと遠くの私語。午後の空気だ。窓からは陽が差している。ゆっくり目線を手元に落とした。しばらく、落ちたシャーペンをぼうっと見つめる。

 例えば、鍵盤の上ではあんなに活発に動く手が、例えば、色を塗るときにあんなにひどく強張る手が、今はどうだろう。力も抜けて、午後の空気にやられてしまっている。シャーペンは落ちて、ノートに強い黒点と弱い線を描いた。なんの作為もない偶然の産物。

 黒板はいつの間にか白い文字で埋まっていた。先生が黒板消しを手に取るから、慌ててシャーペンを握りなおす。とりあえず目に入るものを写して写して、ああ、いま私、全然脳みそ使ってないな、とおかしくなった。



 たまに考えることがある。「天才と呼ばれるような人たちは、自分の体を意識するのだろうか」

 必死にものを考えるとき、「ああ今私は脳を使っているな」とは思わない。ならば走る天才は、その足を意識しないのだろうか。弾く天才は魂をそのまま音にするのだろうか。描く天才は頭の中のものを誤差なく紙に写すだろうか。

 私の体は今にも午後の空気に溶けそうだ。一瞬後に、この教室全体が混然一体となって、午後のミルクティー色の空気と混ざって、均一になっても驚かない。低い先生の声。チョークと黒板の接する音。生徒のかすかなざわめき。咳払いと遠くの私語。窓からの陽。すべては同じ質感だ。シャーペンを落とす私と同じ質感だ。

 私の体が際立つのは、いつも緊張の世界に置かれたときで、私の足は走るにつれて重たくなるし、舞台の上で私は鍵盤を押す感触をはっきりと感じるし、私の想像は手と道具の回路を経るうちにいつも少し変質する。



 頭の中が曇っていって、瞼がだんだん落ちていく。目の前はぼやけて、また「ぼと」という音がした。ミルクティー色が私の皮膚から入り込んで、そうしてどんどん私を侵食していく。

 ゆるやかに午睡に侵略される中、もしこのミルクティー色が、走ることであったら、音楽であったら、私の描き出したい想像であったら、どんなにか私は幸せだろう、と、

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